​プロフィール 講師の物語

~幼少期~

東京都大田区で生まれ、幼少期は静岡県浜松市で過ごす。

祖母にとって母は目の中に入れても痛くないくらい可愛い存在だったらしく、過保護、過干渉に育ててしまった為、母は依存性が強く、なかなか母親になりきれなかった。​

父親とは一緒に住んだことはなく、たまに遊びに連れ出してもらう程度。

そんなこともあり、私は寂しい幼少期を過ごした。

母親は夜中に働いており、私は眠い目をこすりながら一緒に連れていかれ、どこかに預けられ、朝目が覚めると自宅の布団に戻っているという生活を送る。

ある夏の夜、寝苦しくて目が覚めたら母親の姿がなく、網戸から月が見えた。

美しい満月。

網戸に蛾が止まっていて、外側に居るのだろうと思い、ちょんと触ってみたら内側に止まっていて、その感触に恐ろしくなり泣きながら母を探すも部屋にはおらず、そのまま泣き疲れて眠った寂しい記憶がある。

幼稚園では、仕事で疲れている母の喜ぶ姿を見たくて、良い子でいることを目指し、式典の代表挨拶などに選ばれたりしていた。

母は、美術を学んでいたので、日本刺繍~デザインと幅広く、家にはたくさんの作品があった。


幼少期から美術館や博物館や科学館によく連れて行ってもらった。


手先も器用で、私の洋服も縫ってくれていた。

教育には熱心だった様で、音感教室に通わせてくれていた。


家にあったおもちゃのキーボードと、古びたオルガンで毎日遊んでいた。

音感教室では、影絵が大きくなり、音楽も大きくなる時のドキドキを、未だに覚えている。 

 

~小学生~

母が離婚することになり、祖母のいる東京へ引っ越すことになる。

小学校教師をしていた祖母は私や妹の世話をするために退職した。

小学校1年の入学時には1人も友達がいない状態からのスタート。

それに輪をかけて祖母の家を建て直す為に少し遠いところに仮住まいしたため、小学校までバス通学する。

放課後は祖母が迎えに来る為、全く友達と遊ぶこともできず、友達作りに苦戦する。

そんな時、幼児期に音感教室に通っていたこともあり、YAMAHAのグループレッスンに通わせてもらえることになった。

友達が居なかったし、放課後も遊ぶことができなかったので、音楽が一番の友達になる。

音楽教室までは、近かったので1人で通った。

音楽教室は大きな踏切を渡ったところにあった。

ある日、踏切を渡っている途中で警報音が鳴る。

丁度真ん中あたりだったので、戻るのか渡り切るのか迷ってしまい、電車も迫ってきて、怖くなって動けなくなり、知らない大人が手を引いてくれて九死に一生を得る。


未だに踏切恐怖症!

小2になる頃、建て直した祖母の家に引っ越し、やっと普通の小学生生活が送れると思ったら、父親が居ないことを馬鹿にされたり、なんでお父さん居ないの?としつこく大人の事情を聞きたがる輩からいじめられる。

祖母や母に訪ねても「子供はそんなこと知らなくていい」と答えてはくれず、幼い私にはなぜだかわかるわけもないので、学校ではこの手の質問に返答もできず、とても困って黙り込んでいたことを覚えている。

私だって、お父さんとアスレチックで遊んだり、サイクリングしたり、肩車とかしてもらいたかったよ?


当時ピアノを弾ける子供が少なかったこともあり、遊びで教室のオルガンを弾いたことにより、毎日あれ弾いて?これ弾いて?と人だかりができ、一目置いてもらえるようになる。

新居への引っ越しを機に祖母から念願のアップライトピアノをプレゼントしてもらう。

ピアノでは、グループレッスンに加えて、小1からYAMAHAの個人レッスンにも通う。

クラスメイトが弾いてほしいという曲も、皆を喜ばせたくてたくさん練習した。


小3 母が再婚する。

祖母が、家族なんだから・・・というフレーズをよく使ってきたが、私には家族というものが、全くわからなかった。

この家の人達にとって、私は必要?

・・・家族の愛というものに飢えていた。

家族なんて今さらいらないし、家族の意味がわからない。

私は1人で生きていくために、どうしたらいいか、毎日そんなことばかり考えていた。


妹も同じ頃にYAMAHAのグループレッスンに入会する。

楽器店のコンクール等にも参加させてもらったり、学校では音楽の授業や音楽会など、ピアノの出番のある曲では、いつも伴奏者を任される。

高学年になったころ、若くて小柄で可愛らしい音楽の先生が着任された。

その先生は、ご自身のフルートを持って来て、私に吹かせてくれたり、ドラムセットを購入して自ら叩いてみせてくれたり、クラシック以外の美しい曲のCDを貸してくれたりして、音楽の世界は楽しくて、私の知らないワクワクすることが、まだまだたくさんあることを教えてくれた。

学校では、グランドピアノを弾きたいときは、職員室に行けばすぐに鍵を貸してもらえ、休み時間や放課後は好んでグランドピアノで練習するようになる。クラスメイトからはゲーム音楽や流行りの音楽、一つ上の学年の担任の先生からも、春木さんこれ弾いてよ~と戦場のメリークリスマスのリクエストがあり、一生懸命練習して披露した。

小6年になると、ある音楽学校からも、無試験で迎えたいとご連絡を頂いていた。

祖母は、優秀な教員であったようで、麻布、開成、女子学院に自分のクラスから何人も出したということで、私にもそのように育ってほしかったのだろう、とても厳しかった。

学校から帰ったら遊びに行かせてもらえない、勉強が終わったと言っても「勉強に終わりはない」(ごもっともですが…)と終わらせてもらえない、テレビを着ければ「くだらない番組は見るな」と自由に見せてもらえない。

唯一、ピアノの練習をしている時だけが自由な時間だった。

小学校の先生方に勧められ、中学受験を一方的に決められたのは小6の夏。

私は、地元の中学に進むつもりだったので、ああ、また勉強かぁとうんざりだった。

そこから数週間で小学校の学習を終わらせ、塾には通わずに自宅で勉強する。

洗足出身だった音楽の先生に、そのくらい弾けていれば受かるよと言われて、当時音楽コースがあった洗足学園を受験することになる。

ピアノ教室の出石弥生先生も、急ピッチで私のピアノをなんとか合格ラインに上げるのに頑張ってくれた。

出石弥生先生は、小学校1年の時からピアノの手ほどきをして頂いた。

学校がつまらない、家もつまらない、レッスン室は私の逃げ場になっていて、どれだけ救われたことか。

算数の宿題まで見てもらった。

その頃、特別に1度だけ個人レッスンを受けたのは、菊池麗子先生。

ホールに入られた瞬間の、威厳、雰囲気、自信に満ちたキラキラ感は忘れられない。

圧倒されて、なにも弾く前から泣き出す私(笑)

レッスンでは、基礎の基礎についてご指導を受けた。

私も、頑張れば、こんな先生になれるのかな?と憧れた。

中学入試数日前、小学校の行事の凧あげ遠足の為の凧を作っている時に、誤って左手親指をカッターで切り、2針縫う。

入試当日は、縫われた指を、包帯でギュウギュウに巻いて実技試験を受ける。

いざという時の気合と根性だけは自信がある(笑)

 

​​~中学生~

洗足学園音楽大学附属中学校音楽コースに合格。
祖母の呪縛(笑)はまだ続くが、電車通学でやっと自由な時間を手に入れた。

演奏会があって帰宅が遅くなっても、文句を言われない快適な毎日。

育英会や区から奨学金を借りていたので、学業も専門教科も10位近辺の成績をキープしながら、友達もできて楽しく学ぶ日々。

副科のビオラは2名のグループレッスンで、一緒になったクラスメイトがバイオリン経験者でとても上手だった為、初心者の私に先生がスパルタを発揮し、本気でやめたくなることの方が多かったが、負けん気の強さでメキメキと上達させてもらった。
今思えば、先生は私の性格をよく見て下さったと思い、感謝している。
この後、10年習い続けた。

合唱コンクールの指揮者を3年連続で立候補し、3年連続で最優秀賞を頂いた。

ピアノコンクール間近のクラスメイトが学級委員に選抜された時等は、変わって引き受けることもあった。

ピアノでは、かなコンを受けてみたが、なぜか1オクターブ間違えるというハプニングを巻き起こし、なんとか最後まで弾き切るも、以来コンクール恐怖症(笑)

 

​​~音高・音大~

誰かと一緒に音楽を作ることが一番の楽しみになる。

保育園やホテルロビー等で、仲間たちとボランティアコンサート等を行っていた。

声楽の伴奏は同じペアで3年間続け、その間も沢山の楽器の伴奏を経験する。


定期演奏会や卒業演奏会では声楽の伴奏で出演させてもらった。

コンクールの伴奏も数多く引き受けた。

ピアノでは、ショパンの曲を好んで弾くが、左手が腱鞘炎になり、以降セーブしながらの練習となる。

それでも、専攻はピアノのまま進む。

学校以外では、音楽以外の世界も見てみたくて、たくさんのアルバイトも経験した。

接客、販売、電話応対、受付、スポーツジム、プールの監視員、保育園補助、納税者団体等の幅広い職種を経験。

かつてのクラスメイト達が、進路を見直す姿を見て、自分は何で身を立てようか考えるようになる。

学資を出してくれる祖母との約束で、教員免許はどうしても取らなければならなかったので、教育実習もした。

教育実習先は洗足学園の中学校であった。

かつて自分が経験した合唱コンクールの指導や指導教諭との会話から、教えることの奥深さ面白さ、に気づく。

初めてピアノを教え始めたのはこの頃。

あるとき、歩行者として青信号を渡っていて、車に巻き込まれるも、かすり傷程度で大事には至らなかったが、数か月後にまた同じ場所で車に巻き込まれる。


どうしてもここで命を落とすはずだったのではと、今でもゾッとする。

二度目の事故では腱鞘炎の左手をひねり、痛めてしまう。

実技試験を前に絶望したが、気合と根性で乗り切る。

子宮内膜症、卵巣嚢腫が悪化し、ホルモン剤を使いながら、毎月寝込んでいたのもこの頃。

子宮後屈もあり、将来妊娠は難しいと主治医から言われていたため、未来ある子供達の教育に身をささげるのもいいのではないかと思うようになっていった。

 

~社会人~

独身

友人から紹介された外資系体外診断薬の会社で働き始めたのを機に、祖母から離れるために1人暮らしを始める。​

一番に買ったのは電子ピアノ。

結婚

会社の同僚がきっかけとなり、主人と出会う。

優しくて底抜けに明るくて気さくだけれど、真面目。

寝込んだりすると、2時間近くかけて看病やご飯を作りに来てくれた。

この人と家族になったら、毎日楽しそうだなと思うようになった。

結婚するならこうしようと、決めていたことがある。

なんだかんだあったけれど、祖母への感謝は計り知れない。

ピアノが弾けるようになったのも、音大に行けたのも祖母のお陰。


祖母は春木を継いでほしいというのが口癖だったので、私はせめてもの恩返しに苗字を変えるつもりはなかった。

主人は、それでも結婚すると言ってくれたので、義両親を説得する。

そのころ、闘病中だった祖父の容態が悪化し、早く安心させたくて結婚することは伝えられたが、その後間もなく亡くなる。

祖母が憔悴する姿を見て心配になり5年近く務めた会社を退職し、近所へ引っ越し支える日々の中、愛犬の力も借りてなんとか元気を取り戻してくれる。 

結婚にはまだ問題があった。

子供はできにくいと言われていたこと。

不妊治療は早めにした方が良いとの職場同僚に勧められたが、主人は「どちらが原因かなんて調べなくて良い、二人だけの未来もいいじゃないか」と言ってくれて、肩の荷が下りる。

翌年、思いがけず妊娠する。

 

​​~子育て期~

喜びもつかの間、妊娠した胎児の体にむくみ(首の後ろに水がたまっている)があり、ダウン症の可能性と中絶の期限を言い渡される。

できにくいと言われ続け、諦めたところに、私を選んで来てくれた命だから、大切に育てたいと生む決心をした。

出産後、ダウン症でないことが判明。

「お子さんができにくいなら、間はあまりあけないほうがいいよ」との助産師さんからアドバイスがあり、翌年長女を授かる。

妊娠中は、長男がお腹の外から触ると、長女がお腹の中から蹴っていた。

年子の子育てに追われる日々。

活発な長男と、大人しい長女。

何処に行くにも何をするにも大変すぎて、あまり記憶がないが、長男が長女の哺乳瓶を奪って飲んでいることがよくあった(笑)

奪い取られても、特に泣くでもない長女。性格は正反対だった。

長男は、物怖じせず愛想も良かったが、長女は人見知りでいつも私にくっついていた。

幼児期の息子は行く先々でトラブルを起こし、頭を下げて回る日々。

なんでこんなにうまくいかないのだろうと悩む。

長女は教えずとも読み書きも簡単な計算も幼児期にできていて、長男と学校ごっこをして先生役をしていた。

長男年中、長女年少の時に次女が生まれる。

長男と次女に手がかかり、長女は自分の世界をこよなく愛するようになる。(笑)

幼稚園でもマイペース。


1人でも大丈夫。


お友達とも遊べる。

お手伝いもたくさんしてくれて、次女のお世話を良くしてくれる優しいお姉ちゃん。

長男も、字が読めないなりに、次女に絵本を見せて、物語は自作で読んであげることもあった。

長男は、周りと比べて発達がゆるやかだった。

今でいう凹凸ちゃん。

主人は大らかで、他人と比べる必要はないというスタンスだったが、私は子育てで悩み、心を壊して精神科、心療内科にお世話になり、不安から校門で発作を起こしてしまい、薬なしでは校舎に入れなくなる。

保護者会では、誰かに何か言われたわけでもないのに、周りに迷惑ばかりかけて生きていることに申し訳なくて涙が溢れてしまう。

そんな私の周りには、いつも多才なママ友さんや友人が居てくれた。臨床心理士、元看護士、保育士、趣味が音楽活動のママ達、ベビーシッター、洗足の旧友。皆、相談に乗ってくれたりアドバイスをしてくれたり、ゆっくりするようにと子供達を預かってくれたり。本当に恵まれていた。

時を同じくして、音楽活動をされているママ友さんから、親子カフェでピアノを弾かないかと背中を押してもらう。

親友のジャズボーカリストが助っ人に入ってくれて0歳から聴けるコンサートを開催。

長男の幼稚園のママ達も聴きに来てくれて、少しずつピアノを弾けるということが周知されていく。

やはり、ここでも人生をピアノに助けられる。

自信を持ちなおして子育てできるようになり、理解あるママ友さんも増える。

友人の紹介により音大の先生のピアノ教室で、1日50名近くの生徒さんにソルフェージュをお教えしたことも。

ついに大田区中央でHARUMONIE音楽教室を開くこととなる。

それまでは、細々と知り合いに教える程度だったが、マンションの一室で、年中1人、小1二人の3人からスタートする。

ここまでは電子ピアノで頑張ってきたが、ついにアップライトピアノを主人がプレゼントしてくれる。

大分勘が鈍っており、余りの下手さに涙する。

電子ピアノとアップライトピアノの違いを身をもって痛感する。

子供達の幼稚園、小学校のお友達つながりのみ、看板も集客活動も無し、口コミのみで4年後には30名の生徒を抱えることとなる。

ピティナステップには1度に14人が挑戦したり、グレンツェンピアノコンクールではピアノを始めて8か月の生徒が関東大会準優秀賞を頂いた。

発表会では、親子連弾される方も多く、思い出作りの場ともなった。


保護者の皆さんからは、それぞれの発表の際に思った以上に親子で成長ができた、子供は思いの外、逞しく成長していたとご感想を頂戴する。

息子の問題でご迷惑やご心配をおかけした分恩返しをするため、学校のPTAでは何度も委員長や副委員長をさせて頂き、更にお母さん方との交流も生まれる。

我が子の卒業を祝う会や、創立記念祝賀会、地域のコンサート等の演奏依頼も増え、自治体の子育て講座の一環として、リトミックやベビー向けの講座のご依頼を受け100名以上のベビーや子供達親子に大好評を頂く。

こうしてようやく自分の存在意義を確認できるようになる。

息子の為に大田区教育委員会のペアレントトレーニングを受けたり、数々の子育て講座や、書籍にも出会い勉強したことや今までの経験が、現在のピアノ教室での生徒さんや親御さんとの接し方やお悩み相談の際に大きく役に立つことになる。

ピアノ教室ではあるが、親御さん達からの子育て、仕事、ペット、受験、相談内容は多岐にわたる。


生徒さんからは、お友達関係、勉強、進路、ご家族、恋バナ、愚痴、もっと幅広い。

生徒数が30名を越えた頃、子育ての忙しさもピークに!

主人のサポートや介護問題等も重なり、ワークライフバランスを崩す。

2017年の発表会を最後に泣く泣くピアノ教室を閉室することになる。

 

​​~現在まで~

長男中1、長女小6、次女小2となり、いよいよマンションが手狭になったため、駅近くの物件を中心に探し始め、高津区に一軒家を建てる。

主人から、仕事として覚悟を持ってピアノを続けるなら、そのように設計すると提案される。

ピアニストとして活躍していた同じ門下生の音高時代の友人が、闘病の末亡くなる前に「ピアノの先生は、春にとって天職だよ」と言い残してくれたことが、ピアノ教室開室の背中を押してくれた。

ピアノ教室を経営することに決め、設計段階で防音室を入れる。

長女中学受験の際は無職だったため、どっぷりお受験ママになる。(笑)


娘と向き合う時間がたっぷり作れた為、たくさんぶつかることもあったがお互い良い経験になった。

お受験ママの孤独も学んだ。

音楽活動も少ししていた。


品川駅にストリートピアノが来たときは、ママ友フルートさんと一緒に演奏したり、大田区の親子カフェにも、リトミックの手伝いに行った。

神奈川に引っ越しても、大田区の音楽仲間とは今も繋がっており、仕事として来年のコンサートの伴奏以来も頂いている。

近所に住む洗足のクラスメイトとも再会し、高津でも交友関係が広がり始めている。

ピアノ教室閉室から3年後の昨年10月から高津にて開業する。

大田区の生徒も、数人オンラインで復活。大田区からは、現在も新たにご入会を頂いている。


オンラインレッスンと対面レッスンのハイブリット型レッスンもスタートした。

次女は私がピアノレッスンの合間に紅茶を煎れてくれたり、お迎えの保護者さんに暖房をつけたりと、自分にできる仕事を見つけてやってくれ、長女は掃除や洗濯物を片付け、長男はキッチンの洗い物やお使い、ゴミ出し、主人は家に居ればご飯を作り。


家族全員で私の仕事に協力し応援してくれている。

 

~長男~

早期に療育を始めたこともあり、そこそこの学力を身に付けることができた。

小1から剣道を始めるが、先生の指示を理解するのに私がかみ砕いて説明しなければならないので、私も一緒に剣道を始める。

しかし、防具の上からでも小手を受けると痛くてピアノが弾けなくなる、腕が痣だらけになり、ドレスを着た時にギョッとされてしまう(笑)DVではありません(汗)等の支障が出たため、夫がその役を買って出る。

以降、息子と主人の二人三脚で、息子は中1で初段、主人は二段まで稽古を続ける。


中学では剣道部に所属。

ドラムに興味を持ち、親友の紹介で素晴らしい人間性の先生についてレッスンを開始。

音楽を趣味とするようになった。

ゲームや動画の編集を中心に得意なことを学べる学校を目指して、コツコツと苦手科目を自ら学ぶことを始めている。


~長女~

宝塚歌劇団に憧れ、小1でバレエを始める。

他に英語、ピアノ、剣道、進学塾に通っており、レッスンの合間に送迎する多忙な日々。

希望の中高一貫校に合格。

​受験してよかったと言っており、次女に今やっておいた方がいいよ、と勉強のアドバイスをしている。

スマホを使いこなし、何でも自分で調べて、どこへでも一人で出かけていく。今時の女子中学生(笑)


~次女~

パパが大好き、ワンコも大好き。

youtubeにハマる今時っ子。

長女と同じく自分のペースを何より優先し、自分のことは自分でやるのが普通になっている。​

兄、姉の受験が落ち着いたらあなたの番ね、と常々我慢をさせているが、公文に励む毎日である。

こちらも、大好きな先生に励まされながらコツコツ自分で取り組んでいる。

「くもんとピアノは似ているよ、やっただけできるようになるから!」とのこと。

 

​​~生徒さんの声~

◎お教室全体として、皆それぞれ良い子がいっぱいのお教室だなぁと思いました。

私としては、そのことを感じたのが一番の収穫でした。

きっと先生の良き指導のお陰だなぁと思っています。

娘に「とっても上手ですよ」と声をかけてくださる方もいました。

小1からはじめて二年。

ここまで弾けるようになり、そんな嬉しい言葉をかけられるようになったのも、先生のお陰です。

ありがとうございます。

みんなに素敵な演奏と言われるようにやっていこうねと家族で話しています。

(小3お母様)

◎手の使い方やタッチ、音色の出し方など、具体的な例えを出しながら分かりやすく指導していただき、子どももイメージしやすかったようです。

確かな知識やテクニックの裏付けと共に、子どもの個性に寄り添って言葉掛けをして下さり、安心してお任せできると感じました。

常々、芯を捉えた音が出せるようになるといいなと思っていたので、先生のご指導により、芯がありつつ、多彩な音色が出せるようになるといいな、と思いました。

(他のお教室より移動の小3お母様)

◎勉強熱心な先生で、いつも新しい情報を求めスキルアップをされているエネルギッシュな先生。

柔軟な先生でもあり、こどもの性格に合わせて指導方法も工夫してくれるので、小さな子どもでも楽しく通え、親としても安心してお願いできる先生です。


小さいときからテクニックを重視し、五年、十年続けた未来を見据えて指導してくれるので、親としても続けることが楽しみになるお教室。

(年少、小2、中2のお母様)

 

​​~略歴・メディア実績・その他~

◆洗足学園中学音楽コース、同高等学校音楽科、洗足学園音楽大学器楽専攻ピアノ科卒業

ピアノを出石弥生、三瓶弥生、南雲竜太郎、和声学を篠原真、ヴィオラを塚田和子、鈴木由美に師事

◆東京都大田区中央 harumonie音楽教室 主宰


◆神奈川県川崎市高津区溝の口 ピアノ教室 Makiko Piano Lab. 主宰


◆インターナショナルプリスクール(自由が丘)リトミック元非常勤講師


◆親子カフェ、保育園、幼稚園、自治体子育て支援講座他にてリトミック講師、イベントコンサートなど

〈ピアノ指導実績〉
◆ピティナ・ステップ


◆グレンツェンピアノコンクール 東京本選 優秀賞、関東地区大会 優秀賞

〈保有資格他〉
◆中学校教諭専修免許状(音楽)


◆高等学校教諭専修免許状(音楽)


◆PTNA指導者会員


◆育脳ピアノレッスンの教科書認定教室


◆日本こども教育センターリトミック 1st ステップ修了


◆リズムベビーマッサージ講師養成講座修了


◆知育インストラクター講師養成講座修了


◆私生活では3児と犬の母(レッスンでは子育て経験も大いに役立てています)
子育てから、受験、ペットの飼育(!?)まで、ママ達のお悩みにも寄り添っています。

〈メディア実績〉

​◆保科陽子先生の「自己肯定感アップ(I love自分メソッド)」セミナー受講中、

千葉テレビ シゴトのコンパスに出演